ゴー宣DOJO

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切通理作
2014.4.2 00:41

崖っぷちに気づかない世の中を作っているのも自分?

今日発行の「小林よしのりライジング」読んで、ベビーシッターに子を殺された母親の実態に驚きました。

ある程度の周囲の手助けが見込まれていた環境なのに、自ら安易に手放してしまった側面が強い。

 

必要なら、無理筋に食い下がってでも、子どもに必要なものをぶんどってくるのが母親だと思っていましたが……これは、生きるための本能、母として子どもを守るという本能が希薄になっているということなのでしょうか?

 

いい加減な大人が増えると、一番弱いところ……つまり子どもにとって残酷な社会になる。そしていま社会はそこまで来てしまっているのでしょうか。

 

昔「夜回り先生」の講演を聞いた時、夜回り先生が「戦争中のお母さんは我が子を守るために命がけでした。いまのお母さん、そのぐらいの覚悟を持ってください」と言っていて、「ずいぶんおおげさなことを言う人だな」と思いましたが、ヤンキー母に対して、直に言葉を届けるには、そのぐらい直接的なメッセージが必要なのかもしれません。

 

たとえば世話してくれる人たちが自分にうるさいことを言ってきたとしても、すぐに切るのではなく、いまあるリアルな場所へのとっかかりを失ったら、しばらく面倒くさいことになるなと思ったら、しばらくしがみつく方法を考える……という必死さも、自然には生まれなくなってきているのかなと。

 

僕はこの春まで大学講師を14年していたのですが、その間に変わったこととして、途中から学生たちに「要領よくやる体力」すらなくなってきていることがあります。

 

たとえば夏休み前の最後の授業だけ来て、レポートの出題内容だけ確認して、あとは期日に出す。ないしは友だちに代わって出席してもらって、その情報を得てレポートを提出する。見返りに自分の出ている授業についての情報は友だちに教えてあげる。

 

僕が学生の頃は、多くの学生がそうやって、「先生が出席をマメにとらない、自分にとっては単位だけが欲しい授業」に対応していました。

 

それは褒められたことではないかもしれません。しかし一つの知恵として、力を注いで参加する授業と、そうでない授業を振り分け、キャンパスライフを構築していったのだと思います。

 

しかしある時期から、夏休み前の授業に学生の数が急に増えるということがなくなりました。それは僕の授業だけではありません。その時期になると学生食堂の利用者も一気に増えて、一目で大学が賑やかになっていたものですが、そんなこともなくなりました。

 

つまり「要領のいい学生」がガタッと減ったのです。

 

僕にはこれが、小林さんがライジングで言う「制度の完成を待っているわけにはいかないだろうから、母親が子育てするには『知恵』が要るのであり、親兄弟・親戚や、ママ友や、隣人まで、人脈を作る常識が必要になる」ということと、どこか呼応した現実に感じられます。

 

制度だけに任せるのではなく、自分達で情報交換をして、自主的に日常を構築していくことが出来ない。
だから途中ですぐあきらめて中途退学してしまう学生が増え、大学は半年だけの授業を増やしてそれに対応しようとしています。

 

最近僕が見て面白かった映画に『東京難民』という作品があるのですが、所謂無名校の大学生が主人公です。彼がある日突然大学を除籍になり、やがてマンションの部屋も追い出されて難民状態になり、最終的にはホームレスになるまでの物語です。

 

その日もいつも通り、友だちと談笑しながら大学の教室に入ろうとする彼の姿から映画は始まります。でも彼だけIDカードが反応しないので、中に入ることが出来ません。

 

事務室に行って確かめると、彼は既に除籍扱いになっていました。これは後からわかるのですが、父親がフィリピンパブの女性に入れ揚げ、破産状態になっていたので、学費が振り込まれない状態になっていたのです。

 

学校からは何度も通達していたということですが、彼は公的機関などから郵便物が来ても開封せずにほったらかしにしておくことが多いので、自覚がありません。

 

期限を設定し直してもらえないか、復学の手立てがないかと相談しますが、にべもない事務方に、彼はつい声を荒げてしまいます。

「だったらいいよ。こんな大学、もともと行きたくて来てたんじゃない!」

 

このシーンが象徴するように、『東京難民』という映画は、一歩間違えれば転落し再起が難しい社会の側の現実と、ちょっとしたことでキレて関係性を積み重ねる事の出来ない若者側の現実を、両方とも描いていて秀逸な映画だと僕には思えました。

 

話題を戻せば、かの母親も、ある程度は周囲のサポートが受けられる状況にあったのに、ちょっとしたことでキレて、タンカを切って「代わりはいくらでもいる」と切り離していった結果、どうにもならないところまで追いつめられていたということなのではないでしょうか。

 

母親にまでなって、まだそこまでの危機感が発動していないのには驚かされますが、いまの時代は、本当にはぎりぎりの状況なのに……というか、本当はこの人間関係を手放したら生きにくいのに、それに気づかせないオブラートがあって、人を脆弱にしているのかなと。その一つがネットなのかもしれないなと思いました。

 

それにしても「ネット」という言葉はそれ自体危険ですね。なんだか、現実を補完し、零れ落ちたもののバウンドになれるかのような錯覚があります。しかしネットの向こうに居るのは人間であり、人間との関係が構築できなければ、同じことなのですが、なんだかそこに直面しなくても済むような錯覚があります。

 

物事にはいくらでも代わりがある……という錯覚が覆う社会はそれ自体が危険です。

そしていま自分が発している言葉なんかいくらでも取り換えが効くという無責任さから発した言論も、危険を呼びます。

 

ネットのあり方と現代の関係の根本に立ち返った論議も、次回道場でしていきたいと考えています。

テーマ
『憎韓・嫌中ブームの反知性主義を斬る!』


 

平成26年4月13日(日)午後1時 から
『人事労務会館』 にて開催します。

「人事労務会館」
(住所:東京都品川区大崎2-4-3)は、
JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン・りんかい線
『大崎駅』 の 北改札口 を出て左へ、
「西口」 側の左階段を降りて、徒歩3分です。

毎回、会場の場所が分からず迷われる方が、多くいらっしゃいます。

人事労務会館のHPにて、場所をよくご確認の上、ご来場下さい絵文字:重要
(HP掲載の、駅から会場までの地図を印刷し、持参されることをオススメします)

詳しくは、 “ こちら ” でどうぞ。

 

4月13日の「ゴー宣道場」のテーマは
『憎韓・嫌中ブームの反知性主義を斬る!』
にします。

特別ゲスト、萱野稔人氏(哲学者)と朴順梨氏(フリーライター)の登壇が決定!

 

 

入場料は、お一人様1000円です。


参加ご希望の方は、このweb上の申し込みフォームから申し込み可能です

 ↑ のメニュー「道場参加申し込み」
クリックして、申し込みページにお進み下さい
入力必須項目にご記入の上、お申し込み下さい

お申し込み後、記入されたメールアドレス宛に「申し込み確認メール」が届きますので、
ご記入内容に間違いがないか、よくご確認下さい。

「申し込み確認メール」が届かない方は、以下のような原因が考えられます。

・迷惑メール対策サービスを利用していて、「ゴー宣道場」からのメールが迷惑メールと判定されている
・着信拒否サービスを利用していて、「ゴー宣道場」からのメールが着信拒否の対象となっている
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・セキュリティソフトやメールソフトで迷惑メール対策をしていて、 「ゴー宣道場」からのメールが迷惑メールと判定されている

reply@gosen-dojo.com」からのメールを受信できるよう再設定をお願い致します。

「申し込み確認メール」が届かない場合、当選メールも届かない可能性がありますので、ご注意ください


申し込み〆切後、当選された方にのみ「当選メール」を送らせて頂きます。

当選された方は、道場当日、
その「当選メール」をプリントアウトの上、会場までご持参下さい。

なお今後は不定期開催となるため、
往復ハガキでの応募は中止させて頂きます

応募〆切 は 平成26年4/2(水) です。

当選通知の送付は、応募〆切後になりますので、しばらくお待ち下さい。


切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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